今から440余年前 の天正3(1575)年、織田信長は越前の一向一 揆を平定するため大軍を派遣し、当時丸岡の東北4kmの山中にあった豊原寺を攻略し寺坊を悉く焼き払いました。信長はこの恩賞として柴田勝家に越前之国を与え、北ノ庄(今の福井市)に築城を命じます。
勝家は甥の勝豊を豊原に派遣し豊原城を構えましたが、翌天正4(1576)年豊原から丸岡に移り城を築きました。これが現在の丸岡城です。
勝豊以後、安井家清、青山修理亮、同忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となりました。大正中期より昭和の初期にわたり濠は埋められ、現在は本丸と天守と僅かに石垣を残し城城は公園となっています。昔の城郭は五角形の広い濠を有し外郭に侍屋敷を配置し、さらに河川を利用し外濠を設け寺院民家を包容し城下町を形成していました。